HANA-MOMO’s diary

日々の思いを思いのままに・・・ ぼちぼち書いていきますのでよろしくお付き合いくださいませ。

梅雨に入りました。

我が家の紫陽花も咲き始めました。

梅雨入り宣言!台風!梅雨前線刺激して大雨?!

一気に夏の風が吹いてきました。

もう 台風なんですね。 朝からテレビの画面に 台風あっちいけ! こっちにくんな!等と騒いでるのは私だけ・・・

新聞のお悔やみ欄に 近所のおじいちゃんの名前がのっていた。

長いこと介護施設で過ごされて亡くなられた様だ。

少し痴呆が進んでいたよう。時折凄く鮮明に思い出して優しい笑顔で お見舞いにいった孫ちゃん達に やっぱり我が子の名前を呼ぶと 奥様にきいた。

記憶の引き出しが一杯になって 新しい事から忘れる。古い事は以外にも良く覚えていて懐かしんで話したが 昔と今の距離はなくなったそうだ。

私が小さかった頃 田舎の私の住む地区では何処の家にもお爺ちゃん お婆ちゃんがいた。他所の子 家の子 隔たりなく 良く遊んだり面倒見てくれたし 縁側に座るお爺ちゃん お婆ちゃんと良く遊んだ。 痴呆というのか・・・ 「あそこのじいちゃん 最近呆けてきたね・・・」なんて話は聞いたが 年寄りは敬い 家で面倒見るのが当たり前 そして私たちの子供たちは 学校では教えて貰えない 知恵を授かった。 

病気をして病院に入るのは致し方ないこと でも・・・ いつの頃から増えたのかな。介護施設。そこはお年寄りにとって幸せな場所? 「若い者には迷惑かけたくないから・・・」それと介護施設に行くのとは一緒じゃないよね。

家では得られない快適な所であれば 良いけど・・・・ そうなのかなぁ

私には 姨捨山 に思える時かある。世の中は便利になったけど此でいいのかな・・・

簡単な問題ではないし 勝手な解釈 遭遇してない人間の身勝手な考えかもしれない。

ふと ご近所さんの 昔、お土産持っていく時くらいしか顔を会わさなかったおじいちゃんの笑顔が頭に浮かんだ。

では この辺で・・・何かのご縁 お見送りにいってあげようかなー。

 

姨捨山の民話を ネットから借用しました。

 

姨捨山(おばすてやま)(長野地域(ちいき))

昔、年よりの大きらいなとの様がいて、「60さいになった年よりは山に捨(す)てること」というおふれを出しました。との様の命れいにはだれもさからえません。親も子も、その日がきたら山へ行くものとあきらめていました。

ある日のこと、一人のわかい男が60さいになった母親をせおって山道を登っていきました。気がつくと、せなかの母親が「ポキッ、ポキッ」と木のえだをおっては道に捨てています。男はふしぎに思いましたが、何も聞かずにそのまま歩きました。

年よりを捨てるのは深い深い山おくです。男が母親をのこして一人帰るころには、あたりはもうまっ暗やみ。男は道にまよって母親のところへ引きかえしてきました。

息子のすがたを見た母親はしずかに言いました。「こんなこともあろうかと、とちゅうでえだをおってきた。それを目じるしにお帰り」。子を思う親のやさしい心にふれた男は、との様の命れいにそむくかくごを決め、母親を家につれて帰りました。

しばらくして、となりの国から「灰(はい)で縄(なわ)をないなさい。できなければあなたの国をせめる」と言ってきました。との様はこまりはて、だれか知恵(ちえ)のある者はいないかと国中におふれを出しました。男がこのことを母親につたえると、「塩(しお)水にひたしたわらで縄をなって焼けばよい」と教えられ、男はこのとおりに灰の縄を作り、との様にさし出しました。

しかし、となりの国ではまた難題(なんだい)を言っていました。曲がりくねったあなの空いた玉に糸を通せというのです。今度も男は母親に、「1つのあなのまわりにはちみつをぬり、反対がわのあなから糸をつけたアリを入れなさい」と教えられ、との様につたえました。すると、となりの国では「こんな知恵者がいる国とたたかっても、勝てるわけがない」とせめこむのをあきらめてしまいました。

との様はたいそうよろこび、男を城(しろ)によんで「ほうびをとらす。ほしいものを言うがよい」と言いました。男は、「ほうびはいりません。実は・・・」男は決心して母親のことを申し上げました。

「なるほど、年よりというものはありがたいものだ」と、との様は自分の考えがまちがっていたことに気づき、おふれを出して年よりを捨てることをやめさせました。それからは、どの家でも年おいた親となかよくくらせるようになりました。

(千曲(ちくま)市教育委員会のきょう力をえて、「姨捨の文学と伝説」から要約(ようやく)しました。)