HANA-MOMO’s diary

日々の思いを思いのままに・・・ ぼちぼち書いていきますのでよろしくお付き合いくださいませ。

酢豚の味をしってしまった😋

画像はお借りしました(私には作れない・・・)

私がまだ 幼稚園位の頃 おばあちゃんは良く私を連れ色々な所へいった。

高速バスに乗って おばあちゃんの実家にもいった。そこには私を凄く大事にしてくれるおばあちゃんの義妹がいた。寝るときもご飯を食べるときも私は はなれなかった。後ろをチョコチョコついて歩く私を可愛がってくれた。

おばあちゃんは 病院に行くときも 用事で出かけるときも私を連れて歩く。バス停の前の駄菓子屋さんでお菓子を必ず買って持たせた。パラソルチョコ マーブルチョコ なんて名前だったか ガムの中にジャムが入ってるやつが私のお気に入りだった。(母によく おばあちゃんは あなたの機嫌をとるのに お菓子をつかってたわね。泣き出したら お菓子を口にほりこんでいたわ。だからあなたは虫歯がおおいのよ・・・と言われた)

そしておばあちゃんは怖いもの知らずだった。バスの時間がないと私の手を引いてよく歩いた。途中でむずかる私を神経痛の足をかばいながら背負い歩いたことも・・・そして 時折通りがかりの車の人達が「何処にいくの? のせたろか?」声をかけた。おばあちゃんは それがトラックの運ちゃんだと乗せて貰った。 ヒッチハイクだ! 今なら怖い話だが あの頃は和やかだったのか でもおばあちゃんなりにトラックと決めていた。トラックの運転席は高い!乗るのは大変!運ちゃんにおばあちゃんも私も抱き上げられて乗った。見晴らしがよく 気持ちがよい 私は何時もご機嫌になった。降りる時も又 二人は運ちゃんに抱き抱えられておりた。

そうしてやって来たのは 家からお嫁に行ったおばちゃんの家だった。おばちゃんちには大きなお兄ちゃんが二人いた。女の子がいない精か私を良く可愛がってくれた。

おばちゃんの旦那様は何時もサプライズを考えてくれていた。自分の家ではご飯の時には ジュースやサイダーは絶対飲ませてもらえなかったが (おやつの時には出た)ご飯の時にコップについで横に瓶も置き 「沢山飲め!」といってくれた。この日のサプライズは今で言う酢豚だった。おばちゃんではなく おじちゃんが作ってくれた。お兄ちゃんたちに手伝わせながら 豚肉を油で揚げて お野菜と一緒に炒めると言う工程だろうか(私には???)私が覚えているのは パイナップルが入ってるのにびっくりしたのと ジューという音と共に甘酸っぱい匂いがした事。そして「こんなの食べたことないだろ!旨いから沢山食え!」おじさんの自慢げな声だ。それからしばらくして我が家の夕御飯におばあちゃんが作ってくれた酢豚?が登場したがパイナップルは入ってなかったし 甘辛い炒め物で美味しかったけど酢豚ではなかった。

そんなおばちゃんの旦那様 おじちゃんももう亡くなって三年になる。

サイダーをコップに注ぎ 炭酸の泡の立ち上るのを見るのが私は好きだ。そして必ずこの事を思い出す。

.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○

今日はこの辺で・・・ 酢豚食べたくなった! 作る・・・ いやスーパーのお惣菜売り場にみにいこっかなー。サイダーも一緒に買って おばあちゃんとおじいちゃん 偲ぶ晩御飯にしよう・・・