達磨さんを作っている。
お願い達磨にしたいと目を入れない達磨さんは なんだかとぼけた顔をしている。
作るのが未熟なのか それが味なのか ひとっとして同じ達磨さんはいない。
顔書くときの 気持ちの迷い? 現れ?
自分のざわざわした気持ちを静める様に だだひたすら無心につくる。
達磨さんがどれひとつ同じものがないように 同じ人生も 同じ人間も 同じ子供も
どれひとつ同じではない。そして皆必死に生きている。
個性があり 良さがあり 味わいがある。
時々逸脱するやつ すねるやつ とぼけるやつに ひがむやつ
達磨さんを作りながら思う。
人と同じじゃなくていい。人と比べる事もない。
自分は 自分らしく。
自分に納得して生きていけばよい。
昔 久しぶりに母方の祖母の供養で従姉と話をした時の事。
その頃私は 家を出て今のパートナーと同棲中だった。今の住まいであるマンションを買いいろんな意味で順調な時期だった。ほとんど久しく話した事のない従姉だったが 回りに祝福され結婚し二児の子供にも恵まれていた。傍目には しあわせ! にみえていた。私に話しかけてきた従姉は 「今 しあわせ?」と聞いてきた。私は「自分の思う通り生きてるから幸せ!かな。 これからも 自分が納得して出来る様にやって行きたい。人に迷惑のかからない限り・・・」そんな事をいった。
それから暫くして 従姉は子供を残し家を出た。 実家にも戻ってはこなかった。何処にいるのか・・・ 心配してくれる両親を早くに亡くし お祖母ちゃんの供養も終わり区切りをつけたのか・・・
今 何処で どうしてるのだろう・・・ 私があんなこと言ったから・・・
彼女の思う通りは・・・ あのとき彼女は何を思ってたのだろう。あれから四半世紀以上たつ。彼女はどうしてるのだろう。
彼女らしく 元気に生きていてくれているだろうか。
達磨さん作りながらふと 彼女の事をおもいだした。
どれ一つ同じ達磨さんはできない。 彼女の人生だってレールに引かれた 決まったものでなくても 個性があっても はみ出してたって良い。彼女が幸せなら。
では 今日はこの辺で・・・ 早春の日溜まりが暖かです。