親の言う事と 茄子の花は万が一つの間違いもない。
誰かのブログを見ていた時にふとそんな言葉を思い出した。父親に言われた言葉だったか・・・
茄子の花は花を付けた数だけ必ず実を付ける。親の言う事と茄子の花には間違いがない。と言うことだと教えられた気がする。
父は厳しい人だった。今この年になって思うと愛情表現も不器用で でもこよなく私を愛してもくれたし、大事にしてくれた。 躾はそれはそれは厳しかった。履き物の脱ぎ方から箸の上げ下ろし 服装や持ち物も・・・
お決まりの通り思春期には反抗も一杯したし喧嘩もした。今なら理解出来ることがその頃は理解できなかったのだ。 前髪を垂らしてうっと惜しくしてたり、暗いところで何かしてると 「目を悪くする」とやかましくいわれた。又虫歯の多かった私をやかましく言って歯医者に行かせた。「女の子やからな!歯歯大事にせんとな。目を悪くすると一生苦労するから大事にしなあかん」それはうるさかった。多分父も親に言われたのではないか・・・父は歯も綺麗だったし目もよかった。小さい頃父に髭で顔をすりすりされるのが痛くてにげまわっていたが、捕まると微かなタバコの匂いと歯磨き粉のにおいがしたのを覚えてる
本当に親の言うことには間違いがない! 最近そう思う 厳しく躾られた事は身を助けたし 歯は大事(歯医者は大嫌いになったけど) 残念ながら目を悪くした。親の言うこと聞いとけばよかったかな・・・
そんな難しい事をいったわけではなかった。ごく当たり前の生きていくのに大切なこと。多分自分も親に言われたり 経験の中から得た事だろう。子供が困らないように子供に嫌がられても一生懸命いってくれる。最大の愛情を持って育ててくれる。
今だから解る親の気持ち 今だからありがたく思う親の気持ち
「勉強しーや!」「勉強しーや!」
あのとき勉強しとけば良かった。なりたい自分になるために・・・
後悔ととるか今からチャレンジしていくか・・・
年老いた母が最近ぼそっといった
「あんたも かーちゃんの歳になったら解る」
若いときの様に動けなくなって あちこち不自由な所が出てきた事 老いた淋しさを言いたかったのだろうか。
かーちゃん!私 茄子の花に対抗して元気に生きてくね!
思春期 親に反抗して父親と大喧嘩した翌日 テレビの上に空っぽで置いてた財布におこずかいが入ってた。
親とは有り難いものだ。
私には子供はいない。 ママ とか お母さん とか呼ばれたことはない。
でも 親の気持が ありがたみが 解る年になりました。