HANA-MOMO’s diary

日々の思いを思いのままに・・・ ぼちぼち書いていきますのでよろしくお付き合いくださいませ。

3月11日

まずは 12年前のあの日に被災された皆様に そして亡くなられた方 大切な人を亡くされた方に 心より 手を合わせます。

真面目な仏教信心者でもありませんが 私は時折 絵を描いたり写経をしたりします。心がざわざわするとき 不安になるとき 自分の赴くままに書きます。没頭することで なんとなく心が落ち着きます。

今日は暖かな穏やかな小春日和 でもあの日は寒かった気がする 3月11日 日々何をしてたかなんていちいち覚えてないのに あの日の事はおぼえている。 関西に住む私 仕事をしていた。遅いお昼休憩を終わった私は 仕事に戻って暫く経った頃 目眩の様なゆらゆらした揺れを感じた。回りは普通に動いてる。

具合が悪い?!いや違う 隣のデスクの人間も「ゆれた?」と言い出した。でも皆気にもとめなかった。暫くして 東北で地震らしい・・・と 情報がはいってきた。 

それでも気には留めていない。関東には直結する物のない会社だった事もあったのか当たり前に仕事をして帰宅する頃 東北が大変な事になってる。と 地震で・・・

神戸淡路大震災を知っている私は (神戸 三宮の倒壊したビルに震災1週間前にいた私は足がすくんだ覚えがある) あの惨事をおもいだした。帰り何かの都合で上司に送って貰った車の中で見たカーナビのテレビの映像は 私の想像したものとは違った。海が膨れ上がり 大きな波がゆっくりだけど 色々な物を確実にのみ込んでいく。そして引いていく波の後には何ものこってない。暗闇と立ち上る炎。

9・11 の ビルに飛行機が突っ込んで行く画像を見た時 それ以上に この世の事とは思えなかった。

それからは色々な事がはっきりして 12年の歳月が 人間は逞しく再生し 哀しみや怒りの上に復興を遂げてきた。 私は東北にはいったことがない。地震前も今もテレビ等で見る範囲のものである。当時 パートナーは日本全国 特に北関東から東北によく出張にいっていた。 地震の数週間まえには気仙沼にいたらしい。当日も岩手に出張の予定だったらしい。ちょとした行き違いで出張を辞め静岡の本社にいたこと被災を免れたが 震災後の物資の運搬等を手掛け走り回った。でも震災の事をあれこれ語る事はなかった。   

三年前、岩手に住む 彼自身の叔母の葬儀に行ったときに気仙沼に足を伸ばしたらしいが 「何も無くなってた」とだけ一言 会社の支社も自分の泊まった民宿も・・・そこには建物だけでない。そこにまつわる方々も・・・

神戸淡路大震災 まだ地面が歪んで 割れて シートにくるまれたビルの間を歩いた。 震災後年々復興していった。綺麗な町並み。でも震災前わたしが知ってる神戸とは違う。震災によって失われた 二度と戻らない事の寂しさもある。

必ず起こると言われている 東南海地震 大きな自然の中で 私たちは何もできないのかも知れない。運 不運 も有るかもしれない。何処で直面するかもしれない。 命を守り 皆で力を合わせて乗り越えて行けるよう 今から 心構えや 備えが必要なのでしょう。

今月は 今日は ちょっとそんな事を考える日 災害にあわれたかた方に手をあわせながら・・・             

                         合掌